慶應法学会について

慶應法学会幹事長・法学部教授
駒村圭吾

 慶應義塾大学法学部ならびに同大学院法学研究科は、法律学・政治学・社会学の諸分野に多くの研究者を輩出してきました。それぞれの専攻分野・研究室ごとの学脈は広く深くその伝統と人脈をはりめぐらせてきましたが、個別分野や研究室を超えて、三田に学んだ群像たちの交流と相互研鑚の場を設けたいと先輩たちは考えました。こうして、法学部・法学研究科を巣立ち塾外で活躍する研究者たちと法学部専任教員が交流し、研究上のイベントをともに企画・実施する団体として、慶應法学会が1971年に設立されたのです。

 慶應法学会の会長は法学研究科委員長が務め、会の運営は学内外の15名ほどの幹事から成る幹事会が担当し、日常の事務は幹事長と2名の幹事(会計担当と事務担当)が処理しています。年に1回ないし2回の大会を主にともに学んだ三田において開催しております。以前は学外の研究者が所属する大学で開催することもあり、地方色豊かなイベントを組むこともありましたが、コロナ禍等の影響でここ数年、三田で開催されるのが通例となっています。懐かしい学窓のある三田に立ち戻ることにも意味がありますが、会員たちの活躍を実感し、見聞を広めるためにも三田を出て地方で再会することも大切です。今後は慶應法学の人的拡がりを確かめるためにも、活動の範囲を以前のように広く機動的に展開できればと思っています。

 三田山上に学んだ先輩たちの本会についての思いに触れておきましょう。本会の趣旨をおまとめになった坂原正夫先生(民事訴訟法)の2001年2月15日の記事には次のようにあります。




「明治法制史研究に偉大な足跡を残した故・手塚豊博士(名誉教授)は、学部出身の研究者と学部との関係は単に恩師との個人的な関係にとどめるべきではないとして、「塾外の研究者に法学部は物心両面で応援すべきであり、そのことが学部の発展にもつながる」との信念のもとに、本会の設立に尽力された(手塚豊「慶應法学会創設時の思い出」慶應法学会ニュース七号一頁、一九八一年)。博士は設立に際して、研究活動の支援の具体的な内容として、塾図書館の便宜供与、法学部の機関誌である『法学研究』の配布、同誌への寄稿斡旋、研究補助金等を考えられたが、それが今日の本会の活動の基礎になっている。なお博士の本会設立当時の思い出によれば、準備委員会では本会の名称として三田法学会が考えられていた。それが慶應法学会となったのは、三田法曹会との類似をさけるためであった。」

 ここにも見られますように、先輩の碩学たちには、「三田法学」なるものの学的系譜の樹立に対する思いがあります。学問領域も細分化され、方法論も多様化した今日、「三田法学」の名のもとに結集するのはなかなかハードルが高いですが、福澤諭吉の学統を法律学・政治学・社会学の系統において護り抜く気持ちを慶應法学会は継承していきたいと思います。

 本会が行う大切な事業のひとつとして出版助成がありますが、最後にそれに触れておきたいと思います。自分の研究を一書にまとめ、これを出版することは研究者の夢であり、また、責務でもあります。慶應法学会では毎年これを補助する活動を行っております。長年の研究を世に問うこと、地味ではあるが意義ある論攷を活字に残し後進にバトンを渡すこと、博士号を取った論文を書物にし世に知らしめること、こういった研究成果の発表を慶應法学会は応援します。その意味では、若手の研究者や院生の皆様との交流にも力を入れていきたいと考えております。ぜひとも三田の山でお会いしましょう。

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